【レジェンド・インタビュー】藤ヶ谷 陽介 氏

ガンバ大阪には、いい思い出がたくさんあります。

2018年4月5日

「あの頃の藤ヶ谷のままだった」。対談を終えた梶野 智は、そう語った。岡田 武史 監督率いるコンサドーレ札幌へ、磐田東高校から無名のゴールキーパーが入団したのは1999年のこと。あれから現役生活は19年にわたり、公式戦出場は424試合におよぶ。中でもガンバ大阪ではその黄金期のゴールを守り6度の優勝に貢献した。しかし、華々しいキャリアの一方でそのたたずまいはプロになったばかりの頃と変わらない。これほどの活躍の理由を尋ねても「まわりがみんなうまかったから。チームメイトが良かったからです」と笑うだけだ。

2017シーズンで現役を引退し、ガンバ大阪ジュニアユースのGKコーチとして歩み始めた藤ヶ谷 陽介 氏。ゴールキーパーというポジションについて、現役時代の思いや指導者としての夢を語っていただいた。

藤ヶ谷 陽介 氏 ガンバ大阪 ジュニアユースGKコーチ

 

「プロになれただけでラッキーでした」

 

梶野 智(以下梶野):すごい久しぶりだね。

藤ヶ谷 陽介 氏(以下藤ヶ谷)すごい久しぶりです。

梶野:コンサドーレ札幌で一緒だったのは、1999年。

藤ヶ谷:岡田(武史)監督の最初の年です。

梶野:あの頃、ちょうど西村(昭宏)さんがユース日本代表の監督で札幌に視察に来てて。ぼくも西村さんもヤンマー(現セレッソ大阪)出身だったから、その縁で藤ヶ谷のことも聞いていた。二人ともサブだった試合の時に、厚別のグラウンド(札幌厚別公園競技場)で話をしたのを覚えてるよ。でも、基本あんまりしゃべってないね。あの時何歳だった?

藤ヶ谷:18歳です。入団して1年目でした。

梶野:ぼくは札幌に来て2年目。34歳。

藤ヶ谷:そんな気軽にしゃべれないですよ。梶野さんは大ベテランですから。

梶野:あれから19年。すごいよね。こんなに長くやると思ってた?

藤ヶ谷:まったく思ってなかったです。入団できただけでもラッキーでしたから。高校時代は全国大会に出れるチームじゃなかったのでアピールもできなかったし、プロになるのも難しい状況でした。

梶野:でも、プロになりたいっていう目標は持ってた。

藤ヶ谷:はい。それで、サッカー部の監督(磐田東高校 宮司 佳則 監督)がいろんな人脈を使ってくれて、高校3年生の夏休みにJクラブの練習に参加させてもらいました。4チームくらい行きましたけどなかなかいい返事がもらえなくて。11月の終わり頃になって、やっと札幌から返事をもらったんです。

梶野:札幌がJ2に降格したシーズンだ。

藤ヶ谷:室蘭で入替戦やってました。その試合テレビで見てて…

梶野:その試合出てたよ…アビスパ福岡との試合。

藤ヶ谷:札幌が負けちゃって。来シーズンはJ2か。でも、J1でもJ2でもプロという機会をもらえたんだから、そこで頑張ろうという気持ちでした。

梶野:プロに入って、どうだった?

藤ヶ谷:とにかく練習についていくのが精いっぱいの日々でした。ぼくはたまたま運よく入団できたって感じだったから。ぜんぜん実力もなかったので、GKコーチの(ハーフナー)ディドさんと毎日一生懸命、ただひたすらにやっていくだけでした。何の余裕もなかったです。やらなくちゃいけない。これじゃだめだ。自分はこれじゃだめだって。

梶野:でも、その年にユースの日本代表に選ばれた。

藤ヶ谷:無名で札幌に入って、当然トップの試合には出られなくてただただ練習していたのを、当時の西村監督や小野(剛)さんたちが見ていて声をかけてくれて。夏にはSBSカップ国際ユースサッカーにも出させてもらいました。ぼくは早生まれなので、同じ年齢でも下の学年の選手がチームメイトだったというのもラッキーでした。

梶野:代表GKコーチって誰だった?

藤ヶ谷:小野さん、川俣(則幸)さん、武田(亘弘)さん…。

梶野: GKコーチ、結構いたんだ。プロ1年目でユース代表にも選ばれて、順調だよね。

藤ヶ谷:トップの試合には出られなかったけど、アンダーでの経験がモチベーションになっていたところもありました。代表に選んでもらって嬉しかったですし、同年代の選手たちと一緒にやる中で自分もちょっとできているかなってほんの少し自信はつきました。

 

勝敗を左右する。すごく重要ですごく責任が重いポジション。

 

梶野:いつからゴールキーパーやってる?

藤ヶ谷:小学3年生でサッカーを始めた時はフィールドプレーヤーやりつつゴールキーパーもやっていて。中学生でゴールキーパーだけって感じになりました。

梶野:プロで19年やってきて、札幌、ガンバ大阪、ジュビロ磐田って3クラブ経験して、何人のGKコーチとやったんだっけ?

藤ヶ谷:札幌ではディドさん、マザロッピ、松井(清隆)さん。ガンバ大阪に来てロビンソン、マルキーニョス、ジェルソン。磐田ではイッカというブラジル人コーチ。で、最後はガンバ大阪で森下(申一)さん。8人です。

梶野:外国人が多いね。コーチによって合う合わないってあると思うけど、自分にとって誰がいちばんいいコーチだった?

藤ヶ谷:あまり考えたことないですね。このコーチのこの練習が自分にとって良かったなっていうのがそれぞれあるので、そこを大事にしようという感じです。練習ノートもつけていました。練習メニューがすごく豊富なコーチがいるんですよ。キャッチとかセービングとか基本的なトレーニングを、コーン使ったりジャンプを入れたりいろんなバリエーションでやる。毎日違うメニューだから飽きないし、きついけれど楽しいなっていうのがあって。こんな練習でこんなこと言われたっていうのを記録しておけば、どこかで自分のためになるかなと。ガンバ大阪でグァムキャンプに行った時には、同部屋の河田(晃兵・現ヴァンフォーレ甲府GK)も書いてましたね。お互いに「今日こんなことしたよね」って言いながら練習を振り返ってました。

梶野:ゴールキーパーっていろんなタイプがいるけれど、どういうタイプがいいと思う? 藤ヶ谷はすごく落ち着いていてあまり熱くなるタイプじゃないけど、ディドさんだったら大声で指示出して勝っても負けても感情を全面に出す人だったし。

藤ヶ谷:自分をコントロールできるか、っていうところが大事なのかなと思います。どちらのタイプがいいかというより、冷静な部分と熱い部分を上手く使い分けられるかどうか。大声でチームを鼓舞しなきゃいけない時もあるし、あまり言わなくてもいい時もあると思うので。

梶野:ぼくが強化部長で選手を補強する時に、最初に考えたのがセンターフォワードとゴールキーパーだった。点を取る選手と守る選手。特にゴールキーパーは試合の勝敗を左右するポジションだからね。キーパーで勝てる試合もあるけれど、キーパーで負ける試合もある。

藤ヶ谷:でも、キーパーで勝った試合って、あんまりみんなの中で残らないと思うんです。キーパーで負けたというほうがイメージに残ると思う。

梶野:レフェリーと似たところがあるかもしれないね。ミスをせずにジャッジするのが当たり前、ゼロ点に防いで当たり前。ひとつでもミスをすると、それが結果に出ちゃう仕事なんだ。すごく重要で、すごく責任が重い。それだけにきっとやりがいも大きいと思う。

 

すべてを受け入れてガンバ大阪に帰ってきた。

 

梶野:ガンバ大阪から磐田に移籍したのは2013年。

藤ヶ谷:はい。契約満了になったところで、磐田がオファーをくれたというか。

梶野:(川口)能活が移籍した後だ。もう磐田で引退するんだと思って行った?

藤ヶ谷:34歳で、磐田とは2年契約だったから。もしかしたらこのままここで終わるのかなという思いはありました。

梶野:でも1年でガンバ大阪に帰ってきた。

藤ヶ谷:えっ、ていうか。驚きましたね。2013年にガンバを離れた時は、もう戻れるとは思っていなかったから。

梶野:でもこの時のガンバ大阪には、正ゴールキーパーに東口(順昭)がいた。自分はサブだってわかってたよね。

藤ヶ谷:当然試合に出れる機会は少ない、というかほぼない、というのもすべて受け入れてガンバ大阪に戻ると決めました。まあ、ベテランと言われる年齢に達していましたし、以前一緒にプレーした選手たちもいたし。そういういろんなことを考えたうえで、こういう立ち位置だけど頑張ろうと思っていました。

梶野:2番手3番手のキーパーって、正ゴールキーパーがケガか累積でもない限り試合に出られない。そういう選手のモチベーションって、どうなんだろう。

藤ヶ谷:試合に出られないからモチベーション維持が難しいとか、そんなに思わなかったです。ガンバ大阪には東口がいて、ぼくがいて、田尻 健(ツエーゲン金沢に育成型期限付き移籍中)、林 瑞輝って若いキーパーも二人いる。若いキーパーのためにもいい影響を与えないといけないし、東口も代表に行ってもっとうまくなれる選手だからいい刺激を与えられたらと。自分が頑張ることでちょっと感じてくれる部分があればいいなと思って帰ってきた部分もあるので。だから、試合に出られないことも想定していましたし、練習でふてくされるとか、絶対やっちゃいけないと思っていました。

梶野:で、そこからガンバ大阪に3年。ガンバ大阪がいちばん長いんだ。

藤ヶ谷:いい思い出がたくさんあります。サッカー選手としていろんな経験をさせてもらったし、こんな立派なスタジアムで試合ができたこともすごく嬉しかったです。

梶野:19年間の現役生活、リーグ戦だけで353試合、カップ戦も入れると424試合出場だって。すごいよ。ほとんどの選手がこんなに試合出ないでしょう。全部で何冠取った?

藤ヶ谷:J1リーグ1回、ナビスコ杯1回、天皇杯3回、ACL1回。6冠です。

梶野:すごいね。19年も現役を続けて、タイトルもいっぱい取って。札幌に入団した時からすごい出世したんだけど、印象はぜんぜん変わらない。贅沢している感じもないし、性格も、本当にあの頃のままだね。

 

「まだまだ現役を続けたい」――引退への葛藤。

 

梶野:自分の引退を意識したのはいつごろ?

藤ヶ谷:2013年にガンバ大阪から0提示された時はちょっとよぎりました。

梶野:磐田からオファーがなかったら引退かなって。

藤ヶ谷:でも、その時はやりたい気持ちはすごくありました。まだまだ現役を続けたいって。

梶野:じゃあ、現役時代に「引退したら何しよう」とか考えたことはある?

藤ヶ谷:そうですね…30代に入ったくらいから漠然とGKコーチをやりたいというのはありました。でも、そのために準備していたということもなくて。指導者ライセンスも引退した年にやっとC級を取ったところです。

梶野:引退するって決めた時に、すぐコーチのオファーはあったわけ?

藤ヶ谷:はい。選手としては契約はないけれど、ジュニアユースのGKコーチをするのはどうかって話はもらっていました。

梶野:それで、引退してGKコーチをやろうと思った。

藤ヶ谷:揺らぎましたよ。まだ動ける自信はあったし、やりたいという気持ちもありました。いろんな人にも相談しましたが、ほとんどの人に「やれるんだったら絶対やったほうがいい」「現役がいちばんいい」「あれ、もう二度とできなくなるよ」って言われました。

梶野:そう。引退した先輩として言わせてもらうと、現役に勝る楽しさはないよ。2015年の夏に黒部(光昭)の引退試合として京都サンガレジェンドと関西レジェンドでレジェンドマッチをやったんだけど、もう、参加した元選手たちみんな楽しい楽しいって言ってた。

藤ヶ谷:現役を終わるのは、寂しい気持ちはすごくありました。でも、引退した後にGKコーチをやれるタイミングもなかなかないかなという思いもあって。

梶野:そうだね。指導者のオファーがあるっていうのは恵まれてるっていうか。みんながみんな指導者になれるわけではないからさ。

藤ヶ谷:そうですね。

梶野:でもゼロ提示って、良くないよね。

藤ヶ谷:あれはきついですね。代理人からの情報でゼロってわかってても、書面でもらいますからね。

梶野:きついよ。ぼくもセレッソ大阪で一回もらった。それが嫌だったから、強化部長になった時は誰一人ゼロ提示しなかった。契約を更改しない選手ってシーズンが終わる半年くらい前からわかるものだから、そういう選手は早めに活躍できるチームを探して移籍させるっていうことをやってきた。

※0提示 チームを移籍する場合、選手を獲得するクラブは前所属クラブでの年棒をもとに移籍金を支払う。契約満了の場合は提示額を0円にすると移籍金が発生せず、移籍しやすいといわれている。

 

日本サッカーの未来を育てる仕事。

 

梶野:Jリーグのゴールキーパーって、外国人が多いよね。韓国代表のゴールキーパーがみんなJリーグに来ているし。ぼくがセレッソ大阪で強化部長をしていた時も、日本人がなかなかいなくて(キム)ジンヒョンを獲得した経緯がある。

藤ヶ谷:そうですね。名古屋グランパスもオーストラリア人(ランゲラック)、磐田もポーランド人(カミンスキー)。J2でも外国人のゴールキーパーが活躍※1しているし。ちょっと寂しい現状がありますね。日本人ゴールキーパーがもっと出てきてほしいし、反対に、そこで外国人枠使われるのもちょっと、っていうのもあります。

梶野:ゴールキーパーって日本の弱点かもしれない。世界で戦えているのも、今のところ川島(永嗣)だけだし。

藤ヶ谷:外国人ゴールキーパーって、単純に身体だけでも大きいし、動きも速いですからね。

梶野:これからはジュニアユースのGKコーチとして、日本人ゴールキーパーを育てなきゃいけない。

藤ヶ谷:育成年代は大事だって本当にいろいろな人から言われるし、その責任の重みはすごく大きいというか。感じている部分はありますね。

梶野:GKコーチって、ゴールキーパー出身でないとできないんじゃない? 監督は、フィールドプレーヤーでもゴールキーパーでも、選手じゃない人でもできるけど。ゴールキーパーの感覚って、ぼくらにはわからないから。シュートを弾くプレーでも、筋肉の使い方なのか技術なのかって。

藤ヶ谷:専門職みたいな感じはありますね。

梶野:特に育成年代のゴールキーパーは、目利きも難しいよね。身体が大きいとか動きが速いとかそういう雰囲気はある程度はわかるけど、何がどう上手いのかってゴールキーパー経験者でないとなかなか見極められないと思う。指導者としての最終的な目標はどこにある?

藤ヶ谷:トップチームのコーチはやってみたいと思っています。まあ、まだ指導者を始めたばかりなので、育成年代から勉強していって段階を踏んで。何年後か、何十年後かもしれませんけれど。

梶野:藤ヶ谷は今まで多くの外国人GKコーチとやってきているから、それはメリットだと思う。ぼくは長年レヴィー(クルピ)さんの指導を見てきて、外国人指導者の考え方が日本人とは全く違うというのを実感してきた。これからは、そんな、世界的な基準でものごとを考えることも必要だから。

藤ヶ谷:そうですね。

梶野:GKコーチってすごく難しいと思うけれど、でもそれだけにやりがいもあると思う。トップチームもそうだし、日本代表とかそういうところも目指してほしい。それこそ(佐藤)洋平※2みたいに指導するチームから代表選手を出すような。

藤ヶ谷:すごいなって思います。札幌でプレーしていた頃は大先輩だったからほとんどしゃべれなかったけれど、今、引退してこの立場になって、改めていろいろ話してみたいですね。

※1  2018シーズンは、カルバハル(徳島ヴォルティス)、ロドリゲス(ジェフ千葉)、ジョニー・レオーニ(栃木SC)などの外国人ゴールキーパーがJ2でプレー。

※2 佐藤洋平氏 1999年~2003年シーズン途中までコンサドーレ札幌でプレー。GKコーチを務めたベガルタ仙台では林卓人選手(現サンフレッチェ広島)が代表に選出された。その後、年代別日本代表GKコーチを務め、2018年鹿島アントラーズのGKコーチに就任。

 

 

――最後に、改めてファン・サポーターにひとことお願いします。

藤ヶ谷:19年間選手としてやってこれたのは、本当に多くの人に支えてもらったからだと思います。コンサドーレ札幌、ガンバ大阪、ジュビロ磐田、それぞれのクラブで本当にたくさん応援してくれた方がいて、感謝の気持ちしかないですね。これからは指導者として、選手を育てる立場で少しでもいい影響を与えて、トップチームにからめる選手を送り出したいと思っています。セカンドキャリアはまだ始まったばかりですが、プロになった頃の気持ちを忘れずに、日々勉強しながら頑張っていきたいです。

 

藤ヶ谷 陽介 氏

1981年生まれ。静岡県出身。小学校3年生でサッカーを始めた頃からゴールキーパーも経験。磐田東高校から1999年コンサドーレ札幌に入団し、2000年・2001年は年代別日本代表としても活躍した。2005年ガンバ大阪に移籍すると、リーグ初優勝をはじめ数々のタイトル獲得に貢献。2008年にはクラブワールドカップでマンチェスター・ユナイテッドとも対戦した。2014年にジュビロ磐田に移籍するも翌2015年にはガンバ大阪に復帰。2017年をもって選手を引退し、2018年からはガンバ大阪ジュニアユースのGKコーチに就任している。